森になる宣言

 人は森のなかで生まれ、やがて街で暮らし始める。その後、多くの者は森で暮らした記憶を喪失する。しかし、身体の奥底には森への想いがマグマのように渦巻いており、時としてその想いが噴出する。
「森になる」という響きは、身体の奥底に潜んでいるマグマを噴出させる引き金であり、現代における人間性復権の叫びである。

 この世界には多くの醜さ、苦しみや悲しみで満たされているが、それと同じほどの美しさ、たくさんの楽しみや喜びでも満ちている。この世に生を受けた者は何ものをも手にしては来ないが、すぐに多くの命を飲み込み、多くの物を手に入れる。しかし、この世界を去る時には、すべてを置いて行かねばならない。この肉体をさえも。

 かつてインドのアショーカ王は、一人が5本の樹を植えるようにと各地に碑文を建てた。薬効のある樹、果実のなる樹、燃料になる樹、家を建てる樹、そして花を咲かせる樹。しかし、次の世代のために残すように、植えた本人がそれを切ってはならないとした。現代の日本はどうだろう? 次の世代の資源を先取りして食い潰してはいないだろうか? 
 せめてこの世を去る前に、この世界に何か遺すことはできないか。それが「森になる」という理念であり運動だ。己が「森になる」ことを通じて、想いをつなぎ、いのちをつなぐ。墓碑の代わりに木を植えるのが「樹木葬」だが、「森になる」は墓碑の有無に関わらずメモリアルとして木を植え、世代をつなぐ森の創出を目指す。

 「森になる」は、伝統的な葬送や供養の在り方も大切にしつつ、しかもそれを問い直しながら自己変革してゆくシステムである。さらに、日本文化が培ってきた芸術的ともいえる美しさとともに、供養や回向といったことなども手に触れられる形として表し、利他的、愛他的精神が自ずと発動するアートフルな仕組みを目指す、新たなつながりを紡ぎ出す運動なのである。

一般社団法人 森になる   2013.1.31.

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